ふるさとの家から
Fr.ハインリッヒ
談話室
マーコ
相談室
マエダ
2階・ともの広場
堤年弘
反失連は野営闘争中!
本田哲郎

ボランティア 川口 ボランティア 青木 ケアステーション 事務室より
藤井
ふるさとの家で必要なもの ホームページへ

「ふるさとだより」2003年12月

直線上に配置

2階・ともの広場       堤年弘


9月早々、恒例の「たそがれコンサート」が、三角公園で行われ、公園は労働者で埋めつくされました。今年は冷夏で比較的しのぎ易かったのですが、残暑のひととき、淀川工高吹奏楽部員のすばらしい演奏が、街に響き渡り、人々は楽しい夜を過ごしました。懐かしの曲あり、ヒット曲ありと、ヴァラエテェに富み、「六甲おろし」で幕となりました。そのなかで《夜明けの歌よ 私の心に 昨日の喜び 明日の幸せ・・・》の曲が流れてきた時、初老の一労働者が歌を口ずさみながら昔を思い出しているかのように涙ぐんでいたのが印象的でした。高校生の一生懸命な演奏に、労働者は感勤し励まされたのでしょうか。高校生も自分らの演奏を心待ちにしている労働者がいることを知り、この街に生きる人々と交流が出来たことはこれからの人生にブラスになる事でしよう。15回目になる来年も又すばらしい若者たちがやってきて楽しませてくれることを期待しています。
冬の季節に入りますと「ともの広場」も常時満席となります。閉じる時間前には持参した水筒にお茶を汲もうと行列ができます。
Kさんの日課は二階に上がってきてト2時間友人とお喋りし水筒にお茶を入れ、家路ならぬ野宿する場所に向かいます。自転車に持ち物を積み、疲れた足でペダルを漕いで、その場所に辿りついてすぐ追いたてをくうこともあります。雨の日はカッパを着て寝るのですが、「どこからともなく、雨水が入り、冬場の雨の日は打ち震えて死ぬ思いがする。」と言っています。彼は現在52歳、かつて大手S製鉄の下請工場で真面目に働いていたのですが、不景気のあおりで工場が閉鎖、地方から来ていた多くの同僚は故郷に帰っていきました。Kさんは大販近郊出身なので、日雇い労働に従事し、「釜ケ崎」に住むようになったのですが、慣れぬ内に仕事も来なくなり野宿を余儀なくされるようになりました。2年ほど前、彼は酔っ払いの喧嘩に巻き込まれ、頭部にドリルで穴を開けられ、病院に担ぎ込まれ、やっと命を取り留めました。半年後、発熱が続き汗が出るのて病院にいくと結核と診断され、またまた入院。ニケ月が過ぎるともう直ったと療養所から体カもつかないまま出されます。もとの病院に頼っていくと、老人病院に看板が代わっておりそのまま野宿生活に戻ってしまいました。これまで不遇な人生を送ってきたのにいつもニコニコしていて信頼があり多くの友人に恵まれています。空き缶集めに自転車で走り回り、それで得た収入が1000円もあれば、酒をほんの少し嗜んで、後は何とかねぐらを確保すればよいと、口では気楽な事を言っています。たまに不満を漏らすこともあります。
彼は打ち捨てられた新晶同様の物品を拾って来る才に長けているのですが、それが自転車やラジオであったりすれば警官に呼び止められ疑いの目を持って尋問されるのが一番いやだと言っています。
彼の様に服装がキレイでなくても真面目に生きている人がいる一方、見かけだけで良しとしてしまう人々が多い風潮に警鐘を鳴らしていると受け止めました。